top of page

なぜ経済界トップは辞任したのか?新浪氏報道から考える、日本と世界「大麻をめぐる断絶」

  • 執筆者の写真: 山田悠史
    山田悠史
  • 3 日前
  • 読了時間: 8分

山田悠史医師の「医者のいらないニュースレター」より。医者のいらないニュースレターの登録はこちらから


ree

経済同友会の新浪剛史氏が、海外で購入したサプリメントを巡る騒動で辞任した一件は、大麻に対する日本の法律や社会の厳しい現実と、世界の潮流との「断絶」を浮き彫りにしました。本記事ではこの問題の深層を探るとともに、大麻が持つ医療の可能性やリスクについて科学的な視点から多角的に解説し、日本社会がどう向き合うべきかを問いかけます。

山田悠史2025.09.08


経済同友会代表幹事という日本経済の中枢を担う一人、サントリーホールディングスの新浪剛史氏が会長職を辞任したというニュースは、多くの人に衝撃を与えました。警察の捜査を受けたと報じられる一方、本人は記者会見で「法を犯しておらず潔白だ」と強く主張しています。ではなぜ、潔白を訴えながらも、日本を代表する企業のトップは辞任という道を選ばざるを得なかったのでしょうか。

 この一件は、単なる個人のスキャンダルでは片付けられません。日本の厳格な法律と、大麻に対する世界の常識との間に生じた「巨大なズレ」を浮き彫りにしているかもしれません。また、私たち日本人が「大麻」という言葉に抱く漠然としたイメージと、科学的な実像がいかにかけ離れているかをも示唆しているようにも感じます。

 本記事では、この騒動の深層を探るとともに、科学の光を当て、医療、社会、法律の各側面から、この複雑な問題の核心に迫ります。


事件の深層 ― 「知らなかった」では済まされない現実

今回の騒動の発端は、新浪氏が今年4月にアメリカで購入したサプリメントにあります。氏が訪れたニューヨーク州では2021年に嗜好用大麻が合法化され、今や街の至る所で大麻製品を販売する店を目にします。アルコールやタバコのように、大麻成分を含むクッキーやオイル、チョコレートやサプリメントなどが合法的に、そしてごく普通に流通しています。新浪氏は「時差ボケが多い」ため、健康管理の相談をしていた知人から強く勧められ、現地では合法であるという認識のもと、このサプリメントを購入したと説明しています。

 ここで重要になるのが、大麻に含まれる二つの主要な成分、「THC」と「CBD」の違いです。

  • THC(テトラヒドロカンナビノール): いわゆる「ハイ」になる精神活性作用を持つ主要成分です。日本では麻薬及び向精神薬取締法で厳しく規制されており、これを含む製品の所持や使用は違法となります。THCには多幸感をもたらす作用がある一方、不安や恐怖感、短期的な記憶障害や幻覚作用などを引き起こすこともあります。

  • CBD(カンナビジオール): THCのような精神作用はなく、リラックス効果や抗炎症作用、不安や緊張感を和らげる作用などが注目されています。ただし、臨床的に確立されたエビデンスはなく、愛好家にはエビデンスを過大解釈されている側面は否めません。「時差ボケ」を改善するというエビデンスも確立していません。日本では、大麻草の成熟した茎や種子から抽出され、THCを含まないCBD製品は合法的に販売・使用が可能です。

新浪氏自身は「CBDサプリメントを購入した」という認識だったと述べていますが、問題はここに潜んでいます。アメリカで合法的に販売されているCBD製品の中には、日本の法律では違法となるTHCが含まれているケースが少なくありません。厚生労働省も、海外製のCBD製品に規制対象のTHCが混入している例があるとして注意を呼びかけています。まさにこの「合法」と「違法」の境界線こそが、今回の問題の核心です。


潔白を訴えても辞任、なぜ?日本社会の厳しい目

記者会見での新浪氏の説明や報道によると、警察が氏の自宅を家宅捜索したものの違法な製品は見つからず、尿検査でも薬物成分は検出されなかったとされています。また、福岡で逮捕された知人の弟から自身にサプリメントが送られようとしていた事実も知らなかったと主張しています。

 法的には有罪が確定したわけでもなく、本人は潔白を強く訴えている。にもかかわらず、なぜ辞任に至ったのでしょうか。その理由は、サントリーホールディングス側の判断にありました。会社側は「国内での合法性に疑いを持たれるようなサプリメントを購入したことは不注意であり、役職に堪えない」と判断し、新浪氏も会社の判断に従った、と説明されています。

これは、法的な有罪・無罪とは別の次元にある、日本社会や企業における「コンプライアンス」と「社会的信用」の厳しさを物語っているのかもしれません。特にサントリーは人々の生活に密着した商品を扱う大企業です。そのトップが、たとえ海外で合法であったとしても、日本で違法とみなされかねない製品に関わったという「疑惑」が生じたこと自体が、企業のブランドイメージを著しく損なうリスクとなります。結果的に違法でなかったとしても、「違法薬物の疑いで警察の捜査を受けた」という事実だけで、社会的・経済的な制裁が下されてしまう。これが、日本社会の現実です。


科学は「大麻」をどう見ているのか?

この一件を機に、私たちは「大麻」そのものについて、科学的な視点からも冷静に見つめ直す必要があるでしょう。

 世界中で医療大麻が注目される理由は、THCやCBDといった「カンナビノイド」が、私たちの体内に元々存在する「エンドカンナビノイド・システム(ECS)」に作用するためです(1)。ECSは、痛み、食欲、免疫、感情、記憶など、体の恒常性を維持する重要な役割を担っています。この作用を利用し、既存の薬では効果が不十分な様々な疾患への応用が進んでいます(2)。

  • がん治療の副作用緩和: 抗がん剤による吐き気や嘔吐、食欲不振を和らげる効果。アメリカではTHCを主成分とする医薬品(ドロナビノールなど)がFDAに承認されています。

  • 難治性てんかん: 特に小児の難治性てんかんにCBDが効果を示し、多くの国で医薬品として承認されています。

  • その他: 多発性硬化症の痙縮、神経性の痛み、PTSD(心的外傷後ストレス障害)など、幅広い疾患への有効性が研究・報告されています。

 このように、科学の視点で見れば、大麻は様々な病気の患者を救う可能性を秘めた「薬」としての側面を持っています。


「酒・タバコより安全」は本当か? リスクの科学的比較

「大麻は酒やタバコより安全」という言説を耳にすることもあります。リスクという側面から、これは本当なのでしょうか。単純な比較はできませんが、科学的なデータはいくつかの客観的な視点を提供してくれます。

  • 依存性: 生涯使用者のうち依存症に至る割合は、タバコ(ニコチン)が約68%、アルコールが約23%に対し、大麻は約9%と報告されており、比較的低いとされます(3)。しかし、ゼロではなく、使用頻度や期間が長くなるほど「大麻使用障害」のリスクは高まります。

  • 致死量: アルコールのように急性中毒で直接死亡するリスクは、大麻には報告されていません(4)。

  • 精神への影響: 大麻の長期使用、特に若年層からの使用は、統合失調症などの精神疾患のリスクを高める可能性が複数の研究で示されています。特に高THC濃度の製品を頻繁に使用する場合、そのリスクは増大すると考えられています(5)。また、うつ病や双極性障害との関連も指摘されていますが、研究結果は一貫していません。

  • 身体への影響: 煙を吸う方法は、タバコと同様に咳や痰などの呼吸器症状と関連します。心血管系への影響(心筋梗塞や脳卒中など)も議論されていますが、結論は出ていません(6)。一方で、運転能力への影響は明確で、使用後の数時間は自動車事故のリスクが有意に高まることが示されています(4)。

国際的な専門家の中には、依存性や社会への害を総合的に評価すると、アルコールやタバコの有害性は、大麻よりも大きいと結論付けている人もいます。しかし、これは大麻が「安全」だという意味ではなく、それぞれ異なる種類のリスクを持っていると理解するべきでしょう。


世界の潮流と日本のこれから

かつて大麻は、より危険な薬物への「入り口」になるという「ゲートウェイ・ドラッグ理論」が主流でした。しかし近年の研究では、もともと薬物全般に手を出しやすい遺伝的・環境的な素因がある人が複数の薬物を使用する傾向がある、という「共通脆弱性モデル」の方が有力だと考えられています(7)。

 アメリカでは多くの州で合法化が進みましたが、社会的なコンセンサスは得られていません。賛成派は莫大な税収や犯罪組織の弱体化を主張する一方、反対派は若者の使用増加や公衆衛生への悪影響を懸念しています。合法化による長期的な影響はまだ評価の途上にあり、世界もまた「答え」を探している最中です。

 ただし、新浪氏の問題は、決して他人事ではないと思います。今後、海外で生活したり、旅行したりする日本人が、意図せず同様の事態に陥る可能性は誰にでもあります。

 また、この一件は、私たちに大きな問いを投げかけています。世界が大きく変わる中で、日本は「違法だからダメ」という思考停止に陥ってはいないでしょうか。もちろん、法律を遵守することは大前提。しかし同時に、大麻が持つ医療的な可能性、アルコールやタバコと比較した際のリスクの性質、そして世界の潮流といった科学的・社会的な事実から目を背けるべきではありません。

 

今回の騒動をきっかけに、私たち一人ひとりが固定観念を一度リセットし、科学に基づいた冷静な知識を持つこと。そして社会全体で、この複雑な問題について、感情論ではなく建設的な議論を始めていくこと。それこそが、日本が世界の「ズレ」から取り残されないために、今まさに求められていることなのかもしれません。


参考文献

 

1.         Testai FD, Gorelick PB, Aparicio HJ, et al. Use of Marijuana: Effect on Brain Health: A Scientific Statement From the American Heart Association. Stroke. 2022;53(4):e176-e187. doi:10.1161/STR.0000000000000396

 

2.         Page RL, Allen LA, Kloner RA, et al. Medical Marijuana, Recreational Cannabis, and Cardiovascular Health: A Scientific Statement From the American Heart Association. Circulation. 2020;142(10):e131-e152. doi:10.1161/CIR.0000000000000883

 

3.         Lopez-Quintero C, Pérez de los Cobos J, Hasin DS, et al. Probability and predictors of transition from first use to dependence on nicotine, alcohol, cannabis, and cocaine: results of the National Epidemiologic Survey on Alcohol and Related Conditions (NESARC). Drug Alcohol Depend. 2011;115(1-2):120-130. doi:10.1016/j.drugalcdep.2010.11.004

 

4.         Gorelick DA. Cannabis-Related Disorders and Toxic Effects. N Engl J Med. 2023;389(24):2267-2275. doi:10.1056/NEJMra2212152

 

5.         Hines LA, Freeman TP, Gage SH, et al. Association of High-Potency Cannabis Use With Mental Health and Substance Use in Adolescence. JAMA Psychiatry. 2020;77(10):1044-1051. doi:10.1001/jamapsychiatry.2020.1035

 

6.         Rezkalla SH, Kloner RA. A Review of Cardiovascular Effects of Marijuana Use. J Cardiopulm Rehabil Prev. 2025;45(1):2-7. doi:10.1097/HCR.0000000000000923

 

7.         Vanyukov MM, Tarter RE, Kirillova GP, et al. Common liability to addiction and “gateway hypothesis”: theoretical, empirical and evolutionary perspective. Drug Alcohol Depend. 2012;123 Suppl 1(Suppl 1):S3-17. doi:10.1016/j.drugalcdep.2011.12.018


 



 


 

 



 


 



 


 



 

 

 


 





コメント


bottom of page