ニュースで話題の「ハンタウイルス」。私たちはどこまで心配すればいいのか
- 山田悠史

- 2 日前
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2026年5月、アルゼンチンを出航したクルーズ船で「ハンタウイルス」という、おそらく多くの人にとって耳慣れなかった感染症の集団感染が起きました。WHOによれば、これまでに少なくとも8人が感染し、うち3人が亡くなっています。聞いただけで不安になるようなニュースですが、実は私たちが知っておくべき大事なポイントは、それほど多くありません。今回はそんなハンタウイルスについてまとめました。
山田悠史2026.05.11
そもそも「ハンタウイルス」って、どんなウイルス?
ハンタウイルスは、もともと野生のネズミが体に持っているウイルスの仲間です。ネズミ自身は元気にしていますが、その尿、糞、唾液にウイルスが含まれていて、それらが乾燥して空気中に舞い上がったところを人が吸い込むと感染します。世界には数十種類のハンタウイルスがあり、地域ごとに「住みつくネズミ」が違うため、感染症としての顔つきも少しずつ異なります。今回のクルーズ船で見つかった「アンデスウイルス」は南米南部、アルゼンチンとチリのアンデス山脈の周辺にすむ小さなネズミがもともとの住処です。
ピンとこないかもしれませんが、似たような構図は世界中にあります。たとえば、日本でも「マダニ」が運ぶ感染症がときどきニュースになりますが、それと同じで「特定の生き物がすんでいる地域で、その生き物に近づくとうつる病気」というイメージです。普通は世界の都会で街を歩いているだけでうつるような病気ではない、ということがまずおさえておきたいポイントになります。
どうやってうつるのか?ネズミから、そして「人から人へ」の特殊事情
人がハンタウイルスに感染するきっかけは、そのほぼすべてがネズミとの接触です。といっても咬まれるわけではなく、しばらく使っていない物置や山小屋にネズミが住みついていて、そこで掃除や寝泊まりをしたときに、目に見えない糞や尿の粉末を空気と一緒に吸い込んでしまうケースがほとんどです。実際、患者さんの多くは「ネズミなんて見ていない」と話すと報告されています。それくらい気づきにくいルートだということです。
ここで他のハンタウイルスと大きく違うのが、今回のアンデスウイルスです。なんと「人から人へ」もうつることがわかっている、唯一のハンタウイルスなのです。アルゼンチンでは、家族の中、特に夫婦や恋人といった物理的に近い間柄でうつった例が報告されています。発症する少し前から血液や唾液、咳の中にウイルスが出るため、まだ元気そうに見える時期がいちばんうつりやすい、というのも厄介な点です。
ただし、ここには安心できる材料もあります。今のところ、新型コロナのように、すれ違いざまや短時間の会話ですぐに広がっていくタイプではないのです。感染するには長時間、ごく近い距離で過ごす必要があります。今回のクルーズ船のように、同じ船で寝泊まりするという、ふだんはなかなかない条件がそろったからこそ、複数の人にうつってしまったと考えられています。
症状の落とし穴、「インフルかな?」と思っていたら数時間で激変
ハンタウイルスがやっかいなのは、はじまりが「ただの風邪」や「インフルエンザ」とそっくりなところです。ウイルスを吸い込んでから症状が出るまでに2〜3週間ほどかかり、まずは高熱、強い悪寒、太ももや腰のひどい筋肉痛、頭痛、吐き気、お腹の痛みや下痢といった症状で始まります。鼻水やのどの痛みがほとんどないのが風邪との違いですが、インフルエンザに似ているので、これだけで「ハンタウイルスかも」と気づくのは正直むずかしいでしょう。
問題は、その先です。発症から数日たったあるとき、急に空咳と息苦しさが出はじめ、そこから数時間という驚くようなスピードで、肺の中に水が溜まり、心臓のポンプ機能までが弱って血圧が下がってしまいます。亡くなる方の多くは、息苦しさを感じはじめてから1日以内に命を落とすほどの早さです。「風邪だから様子を見よう」と寝込んでいるうちに状態が一気に悪くなる。これがこのウイルスのいちばん怖い特徴です。流行地への渡航歴があり、強い倦怠感や筋肉痛が続く場合は、ためらわずに早めに医療機関にかかってください。
致死率はおよそ3割から5割と非常に高いウイルスですが、運よく生き延びても、息切れや疲れやすさがしばらく残ることがあると知られています。
治療と予防、そして「これってパンデミックになるの?」
残念ながら、ハンタウイルスを直接攻撃する薬は、まだありません。インフルエンザでいうタミフルのような特効薬がない、と思っていただくといいでしょうか。治療の中心は「悪化させないように、体を支えること」になります。集中治療室で人工呼吸器を使ったり、必要なら人工心肺装置(ECMOと呼ばれます)で肺と心臓の働きを一時的に肩代わりさせたりしながら、体が自分の力で持ち直すのを待ちます。早く疑い、設備の整った病院に運ぶこと。これが命を救うためのポイントです。
予防はとてもシンプルで、流行地で「ネズミに近づかないこと、ネズミの痕跡をうかつに触らないこと」です。また、アンデスウイルスの飛沫感染には、データは欠くもののマスクも有効でしょう。残念ながら、このウイルスに有効なワクチンはまだ承認されていません。
最後に、いちばん気になっているであろう「これってパンデミックになるの?」という疑問にお答えしておきましょう。専門家の見方は、「現時点では可能性が低い」でほぼ一致しています。理由は大きく二つです。
一つ目は、人から人にうつる力がそもそも弱いこと。1人の感染者が平均して何人にうつすか、という「広がりやすさの数値」は、アンデスウイルスではおよそ1前後と見られています。これは新型コロナ流行初期の2〜3と比べてかなり小さく、適切に隔離すれば自然と収まりやすい性質を持っているということです。
二つ目は、皮肉なことですが「重症化が早すぎる」ことです。感染した人は短時間で動けないほど具合が悪くなるため、街を歩きまわって次々と他人にうつしていくという、パンデミックを成立させる流れがそもそも作られにくいのです。新型コロナのように、軽い症状の人がたくさんいて、ふつうに通勤・通学しながら広げていく。そういう拡大の仕方は、このウイルスでは起きにくいと考えられています。
ただし、油断は禁物です。発症する前からうつる可能性があること、気候変動でネズミの住む地域が変わりつつあること、そして今回のように国境を越えた長期の旅でウイルスが思わぬ場所に運ばれ得ること。これらは私たちが頭に入れておきたい、新しいリスクです。WHOや各国の保健当局がていねいに監視を続けているのは、まさに「もしも」に備えるためです。
日本に暮らす私たちが今すぐ怯える必要はないですが、いずれにせよ正しい知識を持っておくことは大切です。
参考文献
1. Vial PA, Harkins M, et al. Pathogenesis, epidemiology, and diagnosis of hantavirus infections. UpToDate(2026年5月8日).
2. Harkins M, Vial PA, et al. Hantavirus cardiopulmonary syndrome. UpToDate(2026年5月8日).
3. Shmerling RH. Hantavirus explained: What to know after the cruise ship outbreak. Harvard Health Publishing, 2026年5月6日.
4. World Health Organization. Disease Outbreak News: Hantavirus cluster linked to cruise ship travel, Multi-country (2026-DON599), 2026年5月.

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